奈良の建築家 浅野勝義の家づくりBLOG

大極殿(第一次大極殿)

 
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第一次大極殿(平城遷都1300年祭事業復元工事)



間口9間(44.015m) 、奥行き4間(19.5m)、総高さ27.014m、屋内の最高天井高さ10.782m
基壇の大きさ:間口53.17m、奥行き28.65m、高さは高さ3.574m
柱の小径は70cm、長さ5m。柱の本数は初重44本、二重22本
素材はヒノキを基本とし、大斗や尾垂木先斗等の組物周りは欅が使われています
平城遷都1300年記念行事真っ最中のGW。5月3日は、なんと約6万9千人もの
人出で賑わっていたとニュースで知りました。
当時平城京には5万から10万人もの人が暮らしていたのだとか。
あの平城宮跡に6万人以上もの人が集まったのは、一体いつの頃以来の事
なのでしょうか…
いにしえ人もこの景色を見れば、きっと驚くでことでしょうね。
この平城宮は、内裏と儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙から成り、
その広さはなんと甲子園球場の約30個分、数字にして約120haの広さがあり
ます。
確かに東大寺大仏殿より一回り小さいとはいえ、これだけの大型建築物が
建っていても、この広大な敷地の中にいると、遥か向こうに見える小さな建物に
見えてしまうのがその敷地の広さを物語っています。

第二次大極殿跡もいつもと変わらない景色


先日私が訪れたのは、イベントの始まる前、イベント会場の設置が
あちこちで行われていました。
朱雀門前では、たくさんのスタッフがその準備に忙しく働いていて
いる様子で、訪れている人はまばらでした。

朱雀門前



イベント広場ではハートフルカートで研修中でした。
この雰囲気はここが奈良の街中だとは思えない景色ですね。



朱雀門近くの広場では遣唐使船も展示されています。
「10m位かしら」と仰られていたおば様達がおられましたが、
さすがにそこの所は正確に申します。
船の長さは約30mあります。
しかしまあ、船のデザインは良くも悪くもやっぱり寺社ですね。



やっぱり仕事柄、建築の話をしたいと思いますので、今回は新しく
建てられた大極殿にポイントを置いてお話してみたいと思います。
朱雀門を越え、近鉄電車の踏切を越えますと、遥か向こうに赤い木塀に
囲まれた大極殿を望むことが出来ます。
当時は複婁形式の築地で囲まれていたようです。
(復元には費用が不足したのか? 時間が足りなかったのかは不明)



この囲まれた区域は南北320m、東西180m(甲子園球場1.5個分)もの
広さを持っていて、大極殿院と言います。
南の半分は広場として使われ、北側に大極殿が建っています。
木塀の中に入った写真。ンー、広!



建物の基壇(基礎の石段)は、間口53.17mもある大型建物であるにも
かかわらず、小さく見えてしまう。
大きいのか小さいのか良く分からない表現ですが、それほど広大な場所に
あるからなのですね。
さて、この大極殿。
1300年前に実際に見た人はいませんかー?
当然いませんよね。
当然、図面や写真などもあるはずもなく、分かっているのは遺構を調査した結果、
柱のスパンとその位置、基壇の広さなどが確認できました。
・・・で、この建物が出来ています。
以前ブログで書いたかどうか覚えていないのですが、薬師寺さんの金堂も
同様で、大変少ない資料からその専門家が考えに考え抜いた結果、この様な
建物であったろうと想定して決まったものなのです。
大きなことで言うならば屋根は二重になっています。
また、切り妻でも寄棟でもなく、入母屋になっています。
実はこれも想像でしかないのです。
例えば屋根の形式で言いますと、中国では寄棟屋根が最高位と考えられて
います。東大寺の大仏殿や唐招提寺金堂などは寄棟ですね。
日本形式でいえば切り妻が上位にあります。
伊勢神宮の本殿のつくりがそれを表わしています。
この大極殿(朱雀門とも)が入母屋形式を採用したのは、やはり入母屋と
切り妻を組み合わせた形状が最上位であると考えられたからでしょう。
実際に存在している法隆寺の金堂を見れば想像できます。
屋根の形状一つにとって見てもこれらを様々な形で検討した後に決められた
形状なのです。
構造や組み物もやはり現存する寺社建築に見習う部分が多くあります。
先ほどにありました法隆寺の金堂や五重塔、薬師寺の東塔、唐招提寺の金堂
など幸い奈良には当時から現存している建物がありますから、その構造を
見習って復元を想定できるのです。(参考にということです)
さて、
大極殿の正面は9間(柱と柱の間の面の数)の間は開放されています。
写真ではガラスが入っているように見えますね。
実際はガラスが嵌められており、これを可動すると折り畳まれたガラスは
柱の後ろに隠れてしまい、正面から見ると全開している様になっています。
この正面9間開放も資料や現存する平安大極殿から決められたものです。
折りたたみガラスは内部からみるとこんな感じ



風雨だけに限らず、防犯性や悪戯などのことを考えれば、これだけの広い
場所から保護することも大変難しいと思いますので、こういった結果には
仕方ない事だと感じます。

大極殿西面

妻面入母屋部分



基壇に上り、初層の庇裏の細工はこの様になっています。
こんな見方をすると首が痛くなりそうですね。



さて、大極殿内部へ入ります。
広い大空間の中は、中央に高御座があり、あとはがらんどう。
ここから南(朱雀門方向)を見ると、高見位置からはるか向こうにその姿を
見ることができます。

向こうに見える建物が朱雀門



外周部一間から内部を折り上げ天井とし、以前はなかったのですが壁面に
彩色(絵)が施されています。
この絵は天皇が着座される、高御座(たかみくら)を中心に、東に青龍、南に朱雀、
西に白虎、北に玄武の四神が描かれています。
まず、東面の青龍



南面の朱雀



西面の白虎



北面の玄武



これらは古代中国から日本にかけて天の四方を司る霊獣を示しています。
例を上げますと、明日香にある高松塚古墳などの石室にもありましたし、
薬師寺金堂薬師如来台座にも描かれています。
その他の面には方位に合わせて十二支が書かれています。
内部のちょうど真ん中に、高御座が置かれています。



即位・朝賀・蕃客引見(外国使節に謁見)など大礼の際に天皇が着座した
場所で、黒塗りの雛壇の上に八角形で作られています。
豪華絢爛で、黒と金色が多く、天皇の象徴でもある鳳凰が飾られています。
これは寺社建築で言う天蓋の屋形形式のようなものと解釈してもよいので
しょうか。
装飾も大変美しい。
なんと言うものかは知らないけれど、色合いバランスも細工も
素晴らしいと感じます。



内部にはチェア(御座)が置かれています。
日本は古来から椅子文化が発展していないと思っていたのですが、この椅子は
当時から天皇が座ってられた椅子の復刻デザインなのでしょうか。
まったく調査不足でして…



このデザイン、長時間座るには大変そうに感じますね。
中国の皇帝に使われたチャイニーズチェアはもう少し座りやすそうでした。
最後は屋内での床材(結構気になるところなんですね)について。
素材は凝灰岩、大谷石かと。
30cmx60cm程の大きさだろうか。
瓦敷きというわけにはいきませんな。

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