奈良の建築家 浅野勝義の家づくりBLOG

薬師寺 東塔・西塔

 
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今回は薬師寺さんのシンボルでもある、「両塔」です。
まず、薬師寺の成り立ちから。

このお寺の創建は、壬申の乱で天智天皇の子である大友の皇子
との戦いで勝利を得た天武天皇が、680年に皇后の病気の治癒を
願って発願されました。

しかしその発願の六年後にご本人である天武天皇が崩御されて
しまいます。 皇后はその後を継ぎ、持統天皇として即位。
夫の遺志を継いでこの薬師寺の造営を続けました。

発願後、十四年後の694年に完成。

という夫婦二人で造ったと言えるお寺がこの薬師寺です。
成り立ちからして薬師寺は御夫婦の愛が感じられませんか?
当時の薬師寺は、現在の藤原京の木殿にある本薬師寺跡に
ありました。

710年に都が遷都されると同時に、薬師寺も現在の場所へと
移されました。

もちろん藤原京の薬師寺も、本薬師寺として存在していました。
薬師寺の伽藍というのは、金堂を中心に東西に二塔を持つ
日本で初めての配置方法で、薬師寺式伽藍と呼ばれています。

東塔を見れば分かりますように、三重の大屋根に各層ごと
本格的な裳腰が付けられており、六重の屋根に見えます。
このバランスが見事なほどの美しさを感じます。

この美しさが、あのフェノロサ(アメリカの東洋美術家)に
「凍れる音楽」と言わしめた事は有名ですね。

薬師寺さんでは修学旅行の学生さんにお話をされる際は、
決まって同じ話が出てきます。
「屋根は六枚あるけれど、六階建ての塔ではありません。
これは三重の塔です。そこのところ誤解(五階)の無いように」と。
ちゃんとユーモアも入ってます。

以前までこの西の京の景色は、薬師寺の東塔だけが建っている
景色が普通だったのです。

昭和51年4月に金堂が復興。
その後、西塔が昭和56年4月に453年ぶりに復興されました。
ここに東西両塔と金堂がある伽藍が完成したと言えます。

東塔は白鳳時代よりその姿を変えず、1300年の風雪に耐えて
建っており、西塔は東塔の徹底した調査によって、当時の
あるべくその姿を再現しています。

1300年前、美しい行動を挟んで両塔が現在の西塔のように
光り輝いている姿を当時の人々は見ていたのです。
当たり前ですが、当時は現在の東塔のような色合いでは
ありません。極彩色豊に光り輝いていたのです。

私がこの薬師寺を好きな原因は、1300年という果てしない
月日を耐えてきた東塔と、当時このような美しい建物が
そこに存在していたのだと感じることのできる西塔が、
共存している所に惹かれているのでしょう。

東塔(国宝・白鳳時代)

西塔



‘09.5 (写真は’08.5~のものを使用)

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