興福寺 北円堂と南円堂

法相宗大本山 興福寺
猿沢の池からみる南円堂



 所在地 奈良市登大路町48番地
 本尊 釈迦如来
 創建年 天智天皇8年(669年)
 開基 藤原不比等
 電話番号 0742-22-7755
 拝観料 国宝館/500円 東金堂/300円(9:00-17:00)
 駐車場 有
 交通 近鉄奈良線近鉄奈良駅下車徒歩7分

南都七大寺の一つ(二番)で、世界遺産登録。。

【北円堂と南円堂】
興福寺は東大寺同様、あまりにも大きく、建築・美術品が多いので
今回は北円堂と南円堂に絞り、解説を混ぜて行きたいと思います。
それに際して興福寺、特にこの二つに縁の深い仏師、運慶を通して
この建物を見てみます。
運慶は鎌倉時代の仏師で、仏像をつくる仏師では日本で一番有名
ではないでしょうか。
特に東大寺南大門の仁王像で知ってられるのでは。

興福寺で一番古い建物がこの北円堂です。
建てられた時期は、781年。元明・元正天皇が長屋王に命じて建てたと
言われています。創建後二度火災にあい、現在の建物は1210年に再建
されたもの。

このお堂は日本にある八角円堂のうち、最も美しいと言われています。
八角円堂は、個人を供養するために建てられることが多いとされており、
例としては、
お札にもあった法隆寺夢殿、
五條にある栄山寺の八角円堂(最下段に参考あり)、
そしてこの興福寺の北円堂があげられます。(いずれも国宝)
北円堂は、創建者である藤原不比等の廟堂として建てられました。
建物の特徴は、上の三つのうち一番大きく、軒の垂木に大きな特徴が
あります。

垂木とは、建物から腕を出して屋根を支える腕木の事で、一般に深い
屋根を二段の垂木で受けています。
建物に一番近い方を、地垂木といい、その上からさらに先へ延ばして
いる垂木が飛燕垂木です。
平安以前の建物は、地垂木の形状は丸型で、飛燕垂木は角型となって
いるのが通常で、時代とともに丸から楕円にそして角型へと変化します。
面白いのは、興福寺の北円堂は、垂木が三段になっており、地垂木の
形状は六角形をしています。
屋根は本瓦葺きで、扉は内開きとなっています。



建物の中は運慶率いる慶派最高の傑作として名高い、「弥勒如来像」と
「無著・世親像」があります。
いずれも木造で桂材だと聞きました。
運慶は鎌倉時代の仏師。
父は康慶。 正確な生まれ年は不明で、人柄などのエピソードもない。
分かっているのはほんの僅かな文献と、30体の仏像だけです。
運慶の名が初めて出てきたのは円成寺の大日如来に台座の裏に書かれた
文字。当時28歳であったとか。
運慶の制作した円成寺の大日如来をみて、その美しさ、しなやかさ、
上品さ、そのリアル感に強く感動させられた頃を今も思い出します。
特に「無著・世親像」は、実際にそこに生きているようにさえ見える写実
さは、見る者に感動と恐ろしささえ感じさせるもの。
私も写真でしか見たことがないので、今年は必ず実物を見てみたいと
思っています。今年も春に公開が決まっています。



南円堂



南円堂(重文)は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂
追善のため建てました。
現在の建物は寛政元年(1789年)に再建されたもの。
今から約220年ほど前になりますでしょうか。
本尊は、不空羂索観音像。
この観音様は、羂索という投げ縄で衆生を救って頂けるという観音様。
ちなみにこの観音様は、お近くで見ることができません。
堂の扉は常時閉ざされていて、開扉は年に一度、10月17日の大般若経転読会
という行事の日のみ見ることができます。
不空羂索観音像の制作者は、運慶の父、康慶の作。
作風は運慶のそれとよく似ています。
興福寺には東塔はありますが、西塔というのかありません。
当時の伽藍配置の中には、東西の塔が建っているはず。
興福寺はこの西塔の場所に南円堂を建てました。
建物の造りは北円堂の影響を色濃く残しています。
南円堂は、西国33か所観音霊場の第九番札所となっているので、いつも
お参りする人が途絶えることがありません。
建物は同じ八角円堂で本瓦葺き。
垂木は北円堂と同じく三段、一番奥の地垂木の断面は、六角になっています。



‘09.4
参考
栄山寺 八角円堂

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