興福寺の四天王像



小雨の降る平日に、「お堂でみる阿修羅」を
見に出かけて来ました。
奈良に住んでおりますと、いつも国宝館に阿修羅を含む
八部衆とはいつでもお会いできる環境にあります。
ホントに有難いことです。
今回の展示は阿修羅を含めた八部衆と十大弟子がメイン
なのですが、実は私は仮金堂にあります四天王さんが今
回の目的でした。
仮金堂には中金堂に安置されていました釈迦如来像、
薬王・薬上菩薩像、そしてこの四天王像があります。
なかなか見る機会が無かったので、今回しっかり見せて
頂きました。
今風に言ってしまいますと、草食系男子の八部衆に対して
肉食系男子の四天王。 そのコントラストがありありと感じ
られました。





その前に中金堂ではなく、仮金堂という理由から。
中金堂は興福寺のもっとも重要な建物で、当初は
桁行き7間、梁間4間、屋根は二重で下の屋根は裳腰が
付く建物で、規模は当時の奈良寺院の中でも第一級。
1717年に七回目の焼失後、百年後に仮堂が再建されました。
しかし近年老朽化により、北の講堂跡に薬師寺の旧金堂
を移築、仮金堂としています。
中金堂が復旧されるまでこの仮金堂が、金堂となります。
復興されるのを待ちましょう。
阿修羅を含む八部衆、そして十大弟子像は本来西金堂に
安置されていたもの。(西金堂は現在ありません)
でも、本来お堂の中にあるのですから、そういう目で
見るとまた違って見えますよね。
さて、この中にある四天王像は檜材の寄木造り。
平均2mの像ですが、この迫力がたまりません。
(彫眼・重文)
持国天と増長天は動きあるポーズから睨みをきかせ、
項目天と多門天は静かに立ってられます。
静かに立っていてもそのパワーが溢れ出るのを隠す
事が出来ぬ程の迫力。
どうもこの四天王は以前、南円堂におられたようです。
康慶工房の作だと言われています。
少し時間は戻りますが、この10月17日。
年に一日だけの南円堂内を公開して頂ける日ですから、
当然私は伺いました。
康慶作の不空絹索観音にお会いするために。



この像を見たとたん、南円堂デザインの理由が理解でき
ました。 美しい姿とその大きさ、向背も相まって、その
高さは天井に届きそうな程であることを。
で、あの建物のデザインがあったのだ!
書物には消失する前の不空絹索観音に康慶は似せたと
読みましたが、充分慶派の仏像を感じさせる美しい像でした。
運慶の父であり、師でもあるこの康慶の影響を受けた事は
私のようなものでも感じる事が出来ます。
この南円堂にも四天王がおられます。
この像を見るなり、まず素晴らしいと一瞬で思いました。
像の大きさは四体とも約2m。(彫眼/国宝)
顔の表情・姿・動き等、正直感動してしまいました。
もしかしたら東大寺の戒壇堂以来かもしれません。
全ての像に個性があり、躍動感があります。
私はしばし増長天の前で動けなくなってしまいました。
後日調べてみると、この四体は桂材とのこと。
で、どうもこの四体は北円堂にあったモノであろうと
言われているようです。
・・・となれば北円堂に現在あるの四天王はどこにあったもの?
これもご紹介します。



以前、北円堂の説明で紹介いたしましたが、こちらの
四天王は木芯乾漆造。檜を荒削りして麻布を貼り付け、
漆で塗るという工程を繰り返して制作したもの。
大変手間もお金もかかっています。国宝。
大きさは4体とも1m30㎝程度。
ちょっと小柄ですが、その表情がユーモラスと
言いますか…目に特徴があるのとちょっとポーズが
大袈裟な所でしょうか。
どの像にも両手に刀や戟等の武具を持っていません。
多門天などを見て以前右手に宝塔を持っているような
ポーズなので現在はすでに亡くなったのでしょうね。
見た目にちょっと寂しい四天王にみえました。
実はこの四天王、大安寺に置かれていたものだと言う事
が増長天と多門天の台座裏の墨書にありました。
仮金堂の四天王は、南円堂に。
南円堂の四天王は、北円堂に。
北円堂の四天王は、大安寺に。
移動しているのも不思議ですが、それを知っていて見て
みると、また違った楽しみ方も出来ますでしょ。
‘09.11

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