興福寺 南円堂



「北円堂を書けば南円堂を書かない訳にはいきませんよね。」

そんなリクエストは・・・特にありませんでしたが、単に私が
〈八角円堂が好きだ〉という理由だけで、北円堂に続いて
強引に南円堂を御紹介したいと思います。

南円堂(重文)は813年に藤原冬嗣が藤原北家の繁栄を願って
創建したもの。

本来伽藍配置の西塔の位置であるこの場所に建てられました。
建物は本瓦葺きで八角の一辺は6.4m、対面径は15.5mあります。
日本で一番大きな八角円堂です。

南円堂は北円堂と比べても一回り大きく、そして縦に長いディテール
を持っています。
形状のデザインはちょうど北円堂の宝珠をつまんで空へグッと
伸ばしたような形で、屋根の勾配も急になっています。

軒の垂木は、北円堂と同じく三段(地垂木の上に飛燕垂木を二段)
取られており、地垂木も六角形となっています。



建てられた時期からいえば、北円堂が781年、南円堂が813年
ですからそれほどタイムラグはありませんが、縦の寸法ディテールは
異なるように思います。

御本尊の制作は運慶の父である、康慶作の不空羂索観音菩薩座像。
この像は観る者へ安らぎと尊厳を感じさせます。

現在の建物は創建以来4度目の建物で、寛政元年(1789)頃に再建
されたもの。
鮮やかな色合いは平成4年3月の南円堂修理によるものです。



正面に付いている向拝は、他の八角堂にはないもので、
この南円堂の特徴と言えるでしょう。

連子格子(写真では緑色の格子部分)の横:縦のバランスは、1:2。
北円堂より長く、法隆寺夢殿の1:1に比べずっと縦長となって
います。



さて、中に収められております本尊は、不空羂索観音像(国宝)。

鎌倉期の1789年再建時に運慶の父、康慶の作とされています。
ちなみに創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた
不空羂索観音像とされています。
正式には木造不空羂索観音菩薩座像で、ヒノキ材の寄木造り。
眼は玉眼、座高336.0cm。
座って3.3mですから、それはでかいです。

眉間に一眼を付け三目とし、慶派独特のふっくらとしたお顔と唇、
体のバランスと奥行き感は観ている人に安らぎ感を感じさせます。
ちなみに不空羂索観音菩薩とは、網で魚をすくい上げるように
困窮の人々を救済し、諸々の願いを空しいものにしないという
願いをもつ観音様。

その具現化した姿は、当時の人々を最も惹きつけたのでしょう。
それもあって西国三十三か所第九番札所として観音信仰とともに
いつも人々のお参りでにぎわっています。
上半身に鹿の皮を纏っているので、春日大社の本地仏として
信仰されていました。

不空羂索観音菩薩といいますと、東大寺の法華堂が有名ですが、
こののちの平安時代には不空羂索観音菩薩から、千手観音や
十一面観音へと変わって行くようです。

不空羂索観音菩薩の他に南円堂内には、法相六祖座像(六体)が
あります。 興福寺法相宗興隆に貢献のあった学僧の肖像彫刻で、
これらも康慶らによる作と言われています。

また、四天王像(四体)もあります。(桂材、寄木造り、彫眼、国宝)
桂材であることも含め、以前は北円堂にあったモノではないかと
言われているようです。

力強い作風と、矛と刀(持国天)を持つその姿は、堂々とした
風格と美しさを兼ね備えています。

‘09.5

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