当時の都の人々には、日の昇る所(東)に三輪山、そして西である 二上山は日の沈む所という地形にあります。
二上山を越えると現大阪府である河内平野があり、当時この地には たくさんの天皇陵がつくられました。
この当麻にある竹ノ内峠は、大陸の文化が入ってくる場所でもあり、 天皇の墳墓へと繋がる道の関所や門としての
場所に當麻寺はあります。
仁王門は、正式には東大門です。
私は地形を考えると、東へ登ることが当然で、その正面にあるこの門が この寺の正面玄関である門だと思っていました。 ですからこの仁王門から入った経路である講堂と金堂、鐘楼と三重塔の 伽藍配置に形式があることに気付いていませんでした。 本堂等の拝観をさせて頂いた際、ガイドさんからの一言で私の疑問は 氷解したのです。 理解し易いように當麻寺のHPより伽藍配置の絵図をお借りしました。
勝手にお借りしてすみません(~~;
この画像を反時計回りに90°回して頂けると北門が上に来ますね。
色の付いている曼陀羅堂や中の坊を除いて見てみると・・・ ほら、薬師寺と同じ伽藍配置がそこに
見えてきます。
ガイドさんは、 「今はありませんが金堂の南側に南大門があったそうです。」 と言われました。
まさにその通り。東西に塔、正面に金堂、その奥に講堂という伽藍が そこにありました。
その後、弘法大師(空海)が立ち寄り、この寺に伝わる(當麻曼陀羅)を 拝し、のち真言宗となり、
鎌倉期以降、その當麻曼荼羅ゆかりの 中将姫伝説が阿弥陀信仰と結びつき、浄土宗が入る。
現在當麻寺は、真言宗と浄土宗が共存している珍しいお寺なのだ。
(奥の院浄土宗、中の坊は真言宗)
梵鐘(国宝/白鳳時代)で構成されており、 当時千手堂として脇にあったお堂が、後に本堂
(曼陀羅堂/国宝) (ただし内陣は天平時代)となりました。
ただし、その図柄は西方浄土を現しています。一般に御本尊は仏像が考えられますが、
『絵』は當麻寺だけだとの ことです。
この當麻曼荼羅は4Mx4M程もある大きさで、本堂の中央にある厨子に 金網に守られています。
広がっています。惜しむらくは金網がなければもう少し良く分かるのですが・・・
ものだと言われています。
中将姫は横佩大納言・藤原豊成が観音菩薩に授かった娘といわれて おり、幼少より才色秀で、
中将の位を授かるほど。十六歳に出家し 當麻寺に入門。 阿弥陀如来と菩薩の力を借りて一夜にて
當麻曼荼羅を織り上げた。 そしてわずか29歳で亡くなった(浄土へ旅立った)という。
毎年5月14日には「二十五菩薩来迎会」を行います。 一般に練供養と呼ばれ、極楽堂(本堂)から
娑婆堂まで板橋で 繋がれその上を二十五菩薩に仮装した人が中将姫の像を極楽堂へ 導く儀式。
今年、嫁がこの練供養を鑑賞。 金色に光る二十五菩薩が妙にユーモラスで、動く姿が不思議に 感じられたとか。
まず古い伽藍に始まる金堂(重文/鎌倉時代)から。
當麻寺の最も中心となるお堂です。
当初の金堂は平重衡の南都焼討ち(1180)の際に破壊されており、 1184年に再建。1326年に大規模な修理が行われています。
桁行五間、梁間四間の入母屋造り。
南面に石灯籠(重文 白鳳時代)があります。 石灯籠は二上山の凝灰岩で作られた日本最古の石灯籠だとか。
内部には御本尊である弥勒仏や、四天王などの白鳳時代の仏像が 安置されています。
弥勒仏は白鳳時代の像で、塑像ですが土の上に布を張り、漆を施し、 金箔を押しているので一見塑像には
見えません。そして日本最古の塑像(国宝)です。
四方を守護する四天王は、同じく白鳳時代の仏像。 現存最古の乾漆(かんしつ)像で、珍しくあごひげが
あります。 モンゴル又は中国系のファッションで動きの少ないものの、好い顔を してられます。
ファンの多いのも頷けますね。 唯一木造で加えられた多聞天(鎌倉時代)像も含めて全て重文指定。
次に講堂(重文/鎌倉時代)。
講堂は金堂に次いで白鳳時代に創建されましたが、平安末期に焼失。 1303年に再建されています。
桁行七間、梁間四間の寄棟造り。 阿弥陀如来像(藤原時代/2.27m/重文)) 檜材寄木造。
漆泊仕上げの阿弥陀如来像で、講堂焼失後、すぐに制作 された像だとか。
本堂(阿弥陀堂/天平・藤原時代/国宝)
創建当初、本堂の前身である曼荼羅堂は千手堂という脇のお堂でしか なかったのですが、曼荼羅信仰とともに本堂として
礼拝されるように なり、建物も拡張されました。
金堂や講堂が南面しているのに対し、曼荼羅堂は西方極楽浄土を意識 して、寺の西方に東面して建っています。
桁行き七間、梁間六間で、内部は内陣、外陣、外々陣に分けられます。
内陣は天平様式。 桁行七間、梁間四間で、この部分が当初の千手堂に なります。
1161年に外陣部分を拡張。旧堂を取り込む形で建てられました。
これは後に発展した拡張したお堂の最古の例。
東西ともに三重の塔で、東塔は天平時代、西塔は天平時代末期の建立。
こういった伽藍形式で、東西両塔が揃って現存するのは全国でこの當麻寺だけ。 東塔は初層のみを三間とし、
二層・三層を二間とする構造。
水煙が魚骨形であるなど、他に類を見ない特徴が多く見られ ます。
東塔内には、宇宙の根本仏である大日如来像が安置されています。
西塔は各層とも三間。相輪は東塔と同じく八輪。
水煙は蔓唐草に未敷蓮華を火焔状に配値した華麗なものです。
西塔には當麻寺の両本尊、阿弥陀如来と弥勒菩薩像が祀られています。
東西二塔は建築された時代が異なるとはいえ、かなり異なる特徴を持った 建築です。 その違いを実際に目の前で見て頂くと、その時代背景も見えて 来るのでしょうか。
梵鐘(国宝/白鳳時代)
最後にご紹介するのは
東大門を入ってすぐの梵鐘は銘はないが白鳳時代のもので、日本最古の もの。