高野山真言宗総本山 (古義真言宗系)
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■ 所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山152
■ 本尊 大日如来
■ 開基(創立者) 816年弘法大師空海
■ 電話 0736-56-3215
■ アクセス 南海電鉄で南海線なんば駅から極楽橋駅、極楽橋からケーブルで高野山駅へ。バス・タクシーにて。
■ 駐車場 有 ( 各所に無料有 )
■ 拝観料 金堂・大塔各200円、金剛峯寺500円等
高野山は弘法大師空海が開いた真言密教の霊場です。
その広さは、63.1haもあり、山の上にお寺の町がそっくり
そのまま存在している「山上の都市」なのです。
高野山には壇上伽藍と言われる金堂を中心とする伽藍が
あります。その他に金剛峯寺、数多くの宿坊、国宝の多宝塔
を持つ金剛三昧院、そして奥の院へと巡ります。
橋本に近い九度山から車で20km少し。
九度山を出るとすぐに山道に入ります。
杉・ヒノキの木立の中を40分ほど走ったでしょうか、
突然目の前に高野山の朱塗りの大門が飛び込んできました。
この大門から奥が根本道場高野山な訳ですが、
この中に入ってみて驚きました。
ここには町があるのです。
寺院は当然と言えばそうですが、銀行に商店、スナックに
たばこや、酒屋、豆腐屋、そして学校までそこにありました。
確かにこの町に入るまで、全くの森だったのです。
それは山の上に突然出現した町でした。
弘法大師空海は、この高野山を修行の道場と決め、ここに
伽藍を建立しました。
この壇上伽藍は、根本大塔を密教宇宙の中心軸として展開
しています。 そして長い歴史を経て諸堂の配置も高野山
独自のものとなっています。
中央に金堂、金堂の西側に西塔、対称に根本大塔があり、
その周りに各御堂が建ち並びます。
まず、金堂です。
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高野山の総本堂です。
御本尊は薬師如来。
建物は木造瓦葺き入母屋造り、6間7戸の大きさ。
819年明神社建立の後、伽藍諸堂のうちで最初に建設に着手
されました。もとは講堂、御願堂などと呼ばれていたようです。
幾度となく焼失しており、現在の建物は昭和9年(1934)に
再建されたものです。
見ただけで、高さも広さも大きい建物だと圧倒されます。
西塔
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壇上伽藍建立の基本計画によれば、講堂(金堂)をはさんで
根本大塔ともう一基の塔を建て大日如来の密教世界を具体的に
表現展開する、という構想があったようです。
西塔は弘法大師の御遺志により887年に建立されました。
現在の建物は五度目の再建で1834年に欅材で建てられました。
5間5戸の方形で、初層に裳腰とその上に小さな覆鉢を置き、
更に大きな屋蓋で全体を覆う。
柱は外陣に20本、内陣に12本、中心に4本と中心柱で合計37本
とし、金剛界37尊を象徴しています。
御本尊は金剛界大日如来です。
大きさと美しさを兼ね備えた、すばらしい多宝塔です。
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根本大塔
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壇上伽藍の中心にそびえ建っているのが根本大塔です。
真言密教の根本で、金堂とは異なる意味で中心となります。
幾度となく落雷に会い現在の建物は昭和12年に再建された
もので、5間5戸の方形で瓦葺き。高さ約50m、30m四方の
大きな建物。見たものを圧倒させられます。
内部には、中央にひと際大きな胎蔵大日如来、その四方に
金剛界四仏を安置しています。
16本の柱には堂本印象画伯の筆になる十六大菩薩、壁には
真言八祖像が描かれています。
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六角経蔵
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金堂の西南方に建つ六角形の経蔵。
建物は1159年に建立されましたが、焼失の後、1934年に再建
されたもの。
この経蔵は、鳥羽院の妃であった美福門院が、鳥羽院の菩提を
弔うため、金泥で書写した一切経を収める経蔵として創建され
ました。
この建物の特徴は、基壇の上のところに、把手がついており、
回すことができるようになっています。
これを廻せば一切経典読の御利益があると云われています。
不思議な魅力を持つ六角堂で、デザイン性もひと際美しい。
御影堂
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御影堂は方形造り五間四面の桧皮葺。
その美しい形は伽藍の中でも特別で、各所に細工や加工が
されている。 高欄のデザインも美しい。
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弘法大師の持仏堂、念誦堂ともいわれるお堂なのですが、
「御影堂」の名は、真如親王の御筆による大師御影(秘仏)
を安置したところによるものです。
現在の建物は1847年に再建されました。
「弘法大師御影像」は旧暦3月21日「旧正御影供」の前日の
御逮夜に、年に一度だけ一般の方へ拝見する事ができます。
不動堂(国宝)
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1197年に鳥羽院皇女八条女院の御願により行勝上人が創建
した、一心院谷の本堂であったものを移築されました。
現在の建物は14世紀前半に再建されたもの。
鎌倉時代の和様建築で、平安期の住宅様式を仏堂建築に
応用したもの。
本尊の不動明王坐像は平安時代後期の作で重要文化財、
その脇侍である八大童子立像は運慶作で国宝に指定。
また、この不動堂も国宝。
この後は壇上伽藍を出て、金剛峯寺、奥の院、そして
金剛三昧院に伺いました。
その話は第二話にて。