第1回 バブル期のマンション購入_もう大阪ではマンションが高くて買えない

第1回 もう大阪ではマンションが高くて買えない

「ココも手狭で、住みづらくなったね。」

私が結婚後、住み始めた賃貸マンションは2DKの間取りで、寝室と居間、
そして食事が出来るキッチンという構成の間取り。

キッチンで、80cm角のテーブルに
小さな娘を座らせるだけでもう狭くて…

「マンションを買うにしても近辺(大阪)では高くて手が出せなくなってるよ」

「この前も大阪府で3,000万台だったよね。」

昭和62年、まだバブル期前、そんな会話が夫婦で交わされていました。

当時、中古マンションを見に行ったことがありました。

地形なりに階段状に建っていた築20年くらいの
マンションだったかな、見に行くとこれがまた結構傷んでいて。
テラスがあって間取りは良かったのですが、中古マンションって、
こんなに傷んでいるんだ。
そう感じた。

「中古マンションは無しかな」って。

今考えると、昭和40年代に建てられたマンションなんですよね。
あのマンション、今も建っているのかな?

現在のマンションは、とっても綺麗じゃないですか。
築30年と言っても綺麗ですよ。

そこで、マンションの管理の経緯について調べてみたんです。

マンション管理の法律はいつ出来たのか

当初は昭和37年区分所有法という法律で制定されました。

昭和58年に大改正があり、管理組合の規定が図られました。
(それまで管理組合の規定はなかったという事なんです)

平成12年にマンション管理の適正化の推進に関する法律が制定
マンション管理の適正化の推進に関する法律施行令平成13年8月1日
後に施行規則が、平成17年マンション管理標準指針が定められた
という流れです。
その後は平成28年、平成29年、令和3年と改正が続きます。

昭和58年以前は、まだマンション管理の法律自体、しっかり整備
されていなかったんですね。

昭和58年(1983年)と言ってもそう昔ではないと思うのですが、実際は
約40年前ですもんね。

構造で言うと新耐震が昭和56年6/1ですから、そう変わらない訳で、
旧耐震の建物は管理組合の法律成立前の建物であると言えます。
旧耐震のマンションは、構造だけでなく管理組合についてもきちんと
調べておく必要がありますね。

実際、建物が建築された時点で管理組合があるのと無いのとはかなり違います。
当初なければ途中で管理組合が出来るのです。
皆をまとめるのは面倒だと思いますよ。

法律が制定された話はこれ位にしておいて、マンション探しですよね。

大阪から奈良へ

大阪で買えない事は分かった。
「じゃあ、奈良で探せば? 奈良だったら私たちにも買えるかもよ。」

地方へ行けば自分達でも家を買えるという安易な発想だったのですが、
2000万以内でありました。

当時は【住宅情報】という雑誌があったんですよね。(リクルート発行 現suumo)
分厚い雑誌で、物件探しはこれを見ていましたね。

駅前に新しいマンションが建築予定で、モデルルームがあって
申し込みもこれからあるらしい。
私が駅前物件にこだわっていましたのでピッタリです。

はじめて言います。(言ってませんよね)

実は、それまで奈良とは縁も所縁も無かったんです。
二上山を超える事が無かったんですね。

私は小さい時から大阪で育ち、ベタベタの大阪人です。
子供の頃は近鉄南大阪線で古市より先へは殆ど行くことはなかったんですよ。
奈良というのは年に一度、習字で橿原神宮へ書初め大会に行った遠く…の場所。

そんな遠くの奈良は、小学生の私にとってはある意味地の果てだったんですね。

そこに自分が住むなんて。
人生のうち奈良で暮らしている方が長いなんて。

まさか、後にここで事務所を開設するなんて。

当時の私は、夢にも思っていませんでした。

次回に続く

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